とうがらし地蔵縁起 寛文十一年(1671)八月二十四日建立。当時、この地本宿(本町)は藪の内とよばれ、周辺農家では唐辛子が多く作られいた。江戸時代、飢饉の際、内藤新宿『八つ房』と言う問屋に卸しこの地の人々が大変助かったと言う記録が残っている。開運、商売繁盛、子育て成長安全を願い。祈願のたびに人々はこの地で育ったとうがらしをお地蔵様にかけ、人々はいつしか親しみを込めて唐辛子地蔵と呼んだのであった。地蔵とは字のごとく地の蔵、この地で育つものが実を結び花を咲かすことを願ったのであろう。現在のお地蔵様は、明治30年八王子大火後、八日町商人有志によって再建、縁日は昭和20年代まで盛大に行なわれていた。・・・『唐辛子、浮世の味はこんなもの』・・ とうがらし一番の話 とうがらしは、どこが、一番辛いか、というはなしだと 「そりゃ、浅草土産の七色とうがらしが一等さ」 「いやいや、善光寺門前のトンがらしが、最高だぞ」 などとよくいわれた 浅草のとうがらしは、食ったそばを、 「はくしょん!」と、全部飛ばしてしまうとか・・・、 善光寺のとうがらしは、お膳のものをみんな吹っ飛ばすとか・・・、 それほど辛いと言われた。 ところが、そんなもんといいだすものがおる。 そもそも、禅東院には、とうがらし地蔵という、 たいそうご利益のある、お地蔵さまがおいでになる。 禅東院のとうがらしは、薬味と言うより、 強壮の薬用にいいということじゃ。 その上、辛さは一番で、 亭主が思いっきり、「はくしょん!」とやったら むかいに座っておった女房が、ふきとばされたということじゃ。 |